ネコハエトリの性モザイクとその誇示行動

　　　 　　　　　　前川隆敏 1)・池田博明 2)

　Sex mosaic and its behaviour of Carrhotus xanthogramma (Araneae:Salticidae)

　　　　　Takatoshi MAEKAWA 1) and Hiroyoshi IKEDA 2)

1)Chuo2-52-12,Nishi-ku,Yokohama-shi,Kanagawa,220 Japan
　 　〒220　神奈川県横浜市西区中央2丁目51-12
2)Kanagawa Prefectural Youth Center,Momijigaoka 9-1,Nishi-ku,Yokohama-shi,Kanagawa,220 Japan
　神奈川県立青少年センター　〒220　神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘9-1


Abstract:　Maekawa captured the sex mosaic of Carrhotus xanthogramma (Araneae:Salticidae), whose left half was female and its right half was male. We found that the sex mosaic salticid spider took　antagonistic behaviour to conspecific male,courtship behaviour to conspecific female and copulated her by his right palp. If this salticid spider was anthesized, it was courted by the male.


　クモの性モザイク個体の例は多いが，これまでにハエトリグモの性モザイクは１例だけであった（吉倉1989）．このたび前川は左半身が雌，右半身が雄のネコハエトリを発見，著者らは，その特異な形態だけでなく，性モザイク個体の雌雄に対する求愛誇示・威嚇誇示行動も合わせて観察した．これまでに性モザイク個体の行動観察はコモリグモの１例だけのようである（Gack and Helversen,1976）．

　　　　　　　　　　　　　　　材料と方法 Materials and Methods

　ネコハエトリ Carhottus xanthogramma の性モザイク個体１頭（前川が1991年4月26日に成体で採集，神奈川県海老名市），ネコハエトリの成体オス１頭（池田が1991年4月15日に亜成体で採集，飼育により数日後に成体，神奈川県座間市相模川岸），メス成体２頭（1991年4月15日に亜成体で採集，飼育により4月末に成体，どちらも処女メスである．神奈川県座間市相模川岸），また，対照実験で使用したオスは前川が4月の中旬に海老名市で採集した成体である．
モザイク個体のオスに対する誇示行動の観察は，1991年5月16日14時，バルサ製の平板上で雄と出合わせることで（前川,1991a），また，メスに対する誇示行動は管びん内のメスに対して見合わせた．肉眼による観察のほか，ビデオカメラで記録した．5月21日に麻酔したモザイクに対するオスの反応を調べ，6月6日にそのほかの対照実験を行った．実験室内の気温は25-26℃，照度は5-6kluxであった．誇示行動を表す用語は池田（1991）を参照した．

　　　　　　　　　　　　　　　結果 Results

　　１）性モザイク個体の形態 Sex Mosaic Characters

　モザイクは完全に左半身がメス，右半身がオスの形態をしていた．オスの腹部の方が小さいため，腹部はやや右方向に曲がっていた．雌部の頭胸部背面の縁には白毛が目だつが，雄部は黒い．腹部背面も同様に雌部の方に白毛が多い．雄部の歩脚は黒化部分が多かった（図１b）．顔面は雄部がやや暗褐色の部分が多く，雌部の前中眼の下部には長い白毛が目だった．雄部の顔前面にはこのような白毛は見られなかった（図１a）．また，左の雌の触肢は白毛に覆われていて，生きている時には特にその白色が目だった．一方，腹面は胸板の縁が雄部で黒く，雌部では目だたなかった．腹部腹面後半は一様に黒かった．これらの雌部及び雄部の特徴は正常な個体の特徴に対応していた．
　モザイク個体各部の測定値を記す．体長6.51mm，頭胸部長2.88mm，頭胸幅2.26mm，腹部長3.01mm，腹部幅2.40mm．通常の雌雄より小型である．
　生殖器の形態を記す．モザイクの左の外雌器（図２a）は正常のメスの外雌器（図２b）と比較したとき，やや歪んでいるものの，基本的な構造は大差なく，正常と思われた．なお，外から内部生殖器の構造ははっきりとは見えないので，描図に当たってBohdanowicz and Proszynski（1987）を参考にした．
右の触肢（図３a）は雄，左の触肢（図３b）は雌の構造であった．雄の触肢は暗褐色，雌の触肢は白かった．

　　２）性モザイク個体の対オス行動 Sex mosaic's behabiour to conspecific male

　モザイクが小型であるため，比較的小型（体長6.92mm）の正常オスに対面させた．モザイクは「脚のふりあげ」および「旗振り接近行動」を示し，相手を威嚇した．対面する相手のオスもモザイクに対して脚をふりあげ，威嚇した．最終的には常にモザイクの方が逃げた．4回の対面で，モザイクが脚をふりあげてから逃げるまでの時間は9秒，9秒，3秒，15秒と推移し，平均9秒だった．「脚の横開き」や「押し合い」にまでは至らなかった．
　モザイクはオスの誇示行動を示し，対面する相手のオスもモザイクをオスと見なして威嚇誇示行動を示した．

　　３）性モザイク個体の対メス行動 Sex mosaic's behaviour to conspecific female

　メスに対面させたモザイクは体を低めて，「脚をふりあげ」ながら接近し，「脚そろえ」を行い，メスを「たたく」仕草をしながら，マウントしていった．
　オープンな場所ではなく，管びん内のメスに求愛させたため，モザイクが求愛誇示行動に特有の「顎出し」行動（前川,1991b）をしたかどうかは明瞭ではなかった．
　モザイクはまず右触肢（雄の側である）を使って6分間挿入した．その間，右第１脚を間けつ的にビクつかせたが，この行動は本種のオスが交尾の際に血のうの収縮に同調して起こす行動と共通である（前川,1991b）．
　その後，モザイクは雌の体の上で向きを変えて，左触肢（雌の側である）を挿入しようとした．しかし挿入できないため，モザイクが左触肢を挿入しようとしてから1分25秒後，下におさえつけられたメスが動き出し，離れて脚をふりあげ，モザイクを威嚇した．しかしモザイクが「たたき」ながらマウントすると（約10秒間），再びメスはおとなしくなった．モザイクはその後もひたすら左触肢を挿入しようと試みた．1分10秒後，再び雌は離れて脚をふりあげ，モザイクを威嚇した．モザイクは「脚そろえ」を行い，雌がおとなしくなると，たたきながらマウントし，左触肢を挿入しようと試みる．同じことの繰り返しと判断して，1分後，ピンセットで妨害して，２頭の行動を中止させた．
　続いて，このモザイクをホンチ箱の内で，別のメスに求愛させると，「脚のふりあげ」と同時に，はっきり「顎出し」をするのが観察できた．モザイクはひたすら雌の側である左触肢を挿入しようとしたので，途中で雌雄を分けた．
　モザイクは雄の誇示行動を示し，対面するメスもモザイクをオスとみなした．
　モザイクと交尾したメスを飼育したが，産卵することなく，1991年6月21日に死亡した．

　４）麻酔した性モザイクに対するオスの行動 The male courtship behaviour to anthesized sex mosaic spider

　モザイクの左外雌器は正常である．したがって，オスと交尾させる方法として，モザイクを麻酔して，バルサ板の上に置き，正常なオス（体長9.11mm）を対面させてみた．
　ＣＯ2で麻酔したモザイクにオスは接近し，「脚のふりあげ」を行わずに，じかに体に触れて，マウントし，モザイクの体を回そうとして交尾しようと試みた．しかし，麻酔からさめたモザイクが逃れようとするため，交尾にまでは至らなかった．３回試みたが，いずれの場合も交尾にまでは至らなかった．３回目にオスはモザイクを餌とみなしたらしく後ろからとびつき，頭胸部後部にかみついたため，両者を70％エタノールに入れて分離した．
対照実験として，正常オスや正常メスを麻酔してオスと対面させたところ，オスは対面相手のサイズや雌雄にかかわらず，麻酔された個体に対しては，求愛することが分かった（前川,1991b）．

　　　　　　　　　　　　　　考察 Discussion

　これまでに完全な左右性モザイクで，誇示行動が観察されたものはコモリグモの一種 Alopecosa pulverulenta　だけのようである（吉倉,1989.Gack and Helversen,1976）．この種のモザイクは外雌器はなく，触肢は雄と間性のものを備えていて，オスとして両脚を使ってメスに対する求愛誇示・交尾行動を行った他，メスとして卵のう形成を行った（産卵はしなかった）という．精子形成は正常であった．オスに対する威嚇誇示行動は観察されていない．
　日本のハエトリグモのうち，ネコハエトリは最もよく誇示行動が観察されている種類である（伊藤・斉藤・吉田,1991）．求愛誇示行動と威嚇誇示行動も「顎出し」によって区別できることが分かっている（前川,1991b）．
今回のネコハエトリのモザイクは形態的にはまったく完全な左右性モザイクであったが，誇示行動の際にはオスとして行動した．交尾行動も正常に行われたが，交尾相手のメスに正常に精子が渡されたかどうかは，メスが産卵前に死亡してしまったため，確認出来なかった．交尾したメスの受精のうの解剖までは行っていない．
　本種のオスは，雌雄を問わずに麻酔された個体に求愛するので，モザイクが特別に求愛されたと考えることはできない．しかし，バルサ板上というオープンな場所であるにもかかわらず，オスは麻酔されたモザイクに対して「顎出し」も「脚のふりあげ」も行わなかったことから，オスがモザイクをメスと認識するには何か不十分な点があるとも考えられる．
　モザイクに正常オスの精子を渡して，産卵させようとする試みは，モザイクがオスにかみ殺されてしまったため，失敗した．

　　　　　　　　　　　　　　　　摘要

　左半身が雌で，右半身が雄のネコハエトリの性モザイク個体は，雌に対しては求愛誇示を，雄に対しては威嚇誇示行動を示し，雄として行動した．また，雄は麻酔されたモザイク個体を雌とみなして求愛した．

　　　　　　　　　　　　　　　　謝辞

　この研究にあたり，便宜を図って下さった横浜ホンチ保存会会長・佐藤芳夫氏，ホンチ保存会会員・高橋英男氏，青少年センター科学部長・辻功氏，同科学課長水島英義氏，草稿を見て助言下さった東京大学農学部・宮下直博士，日本蜘蛛学会員・新海明氏，鈴木成生氏に感謝致します．

　　　　　　　　　　　　　　　引用文献
　Bohdanowicz,A. and J.Prosznski,1987.Systematic studies on East Palaearctic Salticidae (Araneae),�W.Salticidae of Japan.Anales Zoolocici,41(2):42-151.
　池田博明,1991.ハエトリグモの誇示行動を表す用語.Atypus,投稿中
　伊藤浩見・斉藤慎一郎・吉田嗣郎，1991.ネコハエトリ雄間の威嚇誇示行動について.　Atypus,(97):32.
　Gack,C. and O.von Helversen,1976.Zum Verhalten einer gynandromorphen Wolfspinne (Arachnida:Araneae:Lycosidae). Ent.Germ. 3:109-118.
　前川隆敏,1991a.ネコハエトリのクモ合戦のさせ方.Atypus,投稿中
　前川隆敏,1991b.ネコハエトリの求愛誇示行動における「顎出し」について.Atypus,投稿中.
　吉倉真，1990.クモの生物学.学会出版センター

図の説明 図１ 性モザイクの顔面　（左面が雌，右面が雄） Fig.1 Face of the sex mosaic
図２ 性モザイクの背面　（左半身が雌，右半身が雄） スケールは1.0mm 　Fig.2 Dorsal view of the sex mosaic (the left half was female,the right half was male) Scale=1.0mm
図３　性モザイクの右触肢の後側面（雄の側） Fig.3 Right palp of the sex mosaic(male part);retrolateral view
図４　性モザイクの左触肢の後側面（雌の側） Fig.4 Left palp of the sex mosaic(female part);retrolateral view
図５ 性モザイクの外雌器部　（左が雌）　Fig.5. Epigynum area of the sex mosaic
図６ 正常雌の外雌器　Fig.6. Normal female epigynum

　BACK　TO　HOME　（＝Spider　Data)